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前田義寛の「めでぃあ交遊録」

2011年06月15日(水) 10:35

東日本大震災に関するニュースの洪水の中で4月以降際立って目に付くのが「写真」にまつわる話だ。

私も4月中旬に現地取材で東北各地を歩いてきたが、仙台・若林避難所のロビーに津波で流失した写真をボランティアが回収、補修して展示している風景を見てきた。3月末に、南三陸町でボランティアの「思い出探し隊」が写真回収を始めてから、この作業が各地で実行されていったようだ。子どもの誕生からはじまる成長の記録、入学・卒業式、結婚式などの記念写真、夫婦や家族との旅行写真、家庭に保管されていたありとあらゆる写真が冠水し、持ち主の手から離れてしまった。

富士写真フィルムは震災後に「写真救済プロジェクト」を立ち上げ、ホームページ上で流失写真の補修方法を解説している。宮城の七ヶ浜町では、ボランティアが集めた5万枚にも及ぶ回収写真を公開して持ち主に戻すため農業用ビニールハウスを回収写真の「思い出ハウス」にしたそうだ。

デジカメの普及で、若い人たちの間では、写真はパソコンやデジタルフレームで見るものという雰囲気があったが、3.11以降、印画紙に焼き付けられた写真の味が見直されてきたように思う。そんな折、写真家塚原琢哉の写真展「The Garden」(6月17日~30日)の案内を手にした。下町の玄関先や路地の狭い空間で丹精こめて草花を育てる日本庶民の感性が、独特の現像処理技術で選ばれた紙に焼き付けられている作品が公開される。東北の被災地で人生の記録メディアとして写真が再認識されていることと、塚原さんの写真展の案内とを重ねてみて、写真と人間のかかわりの深さを改めて思った。

 

2011年05月15日(日) 10:29

東日本大震災1カ月後の現地を取材した。
いわき・小名浜・塩竈・松島・陸前高田の各被災地を回り被災状況を見聞してきた。「百聞は一見に如かず」のとおり、目で見て肌で実感した現地の惨状は想像を超えるものだった。

「町が消えた」南三陸町の佐藤 仁町長の発案で始まったという「思い出探し隊」。流失した町民の写真アルバムを回収し、泥だらけの写真を水洗い、乾燥してボードに張り出す。家族の写真を見つけて喜ぶ人たち。同じことを仙台・若林避難所で見た。七五三、成人式、結婚式、旅行など家族の記録が並んでいる。写真の主が無事であってほしい、と祈らずにいられない。

市中に流失・漂流したLPガスボンベの回収作業に明け暮れた伊藤忠エネクスホームライフ東北の武田さんの話に、地域のエネルギー供給業者としての使命感を感じた。加賀電子仙台営業所の佐藤さんは、山田港で殻つき牡蠣など水産物輸送業を営む実家が流され、この町に住む友人数人を失った悲しみをこらえて笑顔で語ってくれた。激甚な災害は人それぞれの「3・11物語」を作り出している。自分史活用推進協議会の池中万吏江さんは「災害の体験を、自分史を書くことでぜひ残してほしい」という。復興に向けた動きが見えてきた。東北復興構想会議の特別顧問梅原 猛さんは「東北人は縄文時代から日本の文化の源流を担ってきた。新しい東北の歴史を築いてほしい」と語っている。

陸前高田海岸にたった1本残された松は、災害で亡くなられた方々の”鎮魂の樹”であるとともに、これから始まる東北の未来への”希望の松” となった。

 

2011年04月15日(金) 18:48

東日本大地震から始まった一連の大規模災害は日本列島全体を震撼させている。特に、福島原子力発電所で発生した事故の連鎖はいまだ進行中であり、楽観できない。今回の原発事故は、東京電力の電力供給能力に致命的な打撃を与えつつある。節電で切り抜けられるものなのか疑問は残る。私たちはいま、「電気のありがたみ」を改めて思い知らされているようだ。

古すぎる話で恐縮ながら、私は青年期に電気産業新聞記者であった。毎年3月25日は「電気記念日」。電気の恩恵をPRする電力会社の施策の一環だ。昭和35(1960)年、電気記念日特集の記事を書くため私は同僚の静 健司記者と北茨城の山奥の「未点灯部落」(当時の呼称)を取材した。「36年の自家発電に別れ。谷間に電気の恵み」というタイトルのルポルタージュを書いた。

この時代、日本全国にはまだ6万世帯もが電気の光を求めていた。取材した楊枝方という集落の人たちは涙を流して電気の光を仰いだ。半世紀も前の取材の記憶はいまも鮮明だ。原発事故で思い出すのは、1998年にデザイナーの長岡貞夫さんが九州電力川内原子力発電所建屋の外観の「環境共生デザイン」を担当したときのことだ。地域の環境になじむ建屋外装の色とデザインを「信頼と親和」というコンセプトでまとめたコピーを書いた。いま、福島原発ではまさに「信頼と親和」が破壊されている。原発事故は現代が電気文明社会であり、その30%が原発に依存していることを知らしめた。ゆれる電気文明のなか、問われるのは人間の「信頼と親和」の生き方だろう。